2012年7月1日日曜日

海を渡る侍

これ、2008年に別のブログに書いた記事。最近きっかけがあって読む機会があった。当時の気持ちが思い出されて懐かしかったのと、初心を思い出させてくれた。

参考までに転載。(リンク)当時まだブログ書き始めたばっかで、我ながらちょっと文体がぎこちないっすね...

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


|  | コメント(0) | トラックバック(0)
先日お伝えしたラクロスNCAAトーナメント決勝戦観戦ツアーの、ボストンでの男子ラクロスの準決勝、決勝の観戦では、日本から試合を見に来ていたラクロス仲間の方々とご一緒させて頂いた。学生時代にラクロスをプレーしていた頃にお世話になった方々だったのだが、その時以来の再会で、非常に懐かしかった。「お互い変わってないねー」「ちょっと太ったね」とその後の話や将来の話をしつつ、盛り上がり、最高に楽しい時間を過ごさせて頂いた。
そこで、その中の一人の方から非常に心を打たれる話を伺った。
てな訳で、ごめんなさい。ここらでまたしてもアッツイ話を一発書かせて頂きます。

IMG_1003.JPG
1.出会い
彼は、高校時代からラクロスをプレーし始め、大学では最も強かった伝統校のチームでプレーし、その後も社会人になって強豪クラブチームのエースとしてチームを何度も日本一に導いた方で、日本のラクロスの世界での第一人者。骨格が大きいのに加え身体能力も高く、またスティックワークも安定しており、且つスポーツで必要なクレバーさと揺らがぬメンタル、そして何よりも大事な、『努力する能力』を兼ね備えた素晴らしい選手で、日本のラクロス界でも、「最も日本人離れした選手」の一人として認知されて来た方。
IMG_0932.JPG高校時代から日本代表としてプレーし、それ以来過去のワールドカップ全てで日本の大黒柱としてプレーし続けてきた。僕が大学1年だった頃、4年生として某強豪校のキャプテンをやってらして、僕のチームとの試合でも要所要所で素晴らしいプレーをし、勝利に貢献していた。その時にフィールドでプレーする彼を見て、文字通り『鬼神のような』人だなー、と思っていた。その後も日本代表の合宿の手伝いをした際に多少言葉を交わしたことはあったのだが、それ以来彼がプレーする姿を見ることこそあったものの、直接お会いしてお話させて頂く機会は残念ながらこれまで無いままだった。
IMG_0957.JPG
2.知らなかった過去
彼にお会いするに当たり、ここ数年ラクロスの世界から遠ざかっていたこともあり、お会いするに当たっての基本動作ということで、事前に彼がここ数年どういう活動をされていたのかを下調べしておこうと思い、ググッて(Google検索して)みた。すると、僕の知らなかったここ数年の彼の軌跡に関する情報がいくつか引っかかった。どれどれ、と思って見てみると、スポーツ関連のメディア系のホームページで、海外に挑戦する日本人アスリートの特集記事の中で、インタビューを受けていた。おりょりょ?そんなことされてたんだ、と思い、じっくり読んでみた。
IMG_1018.JPGこの方、社会人クラブチームで数年間プレーし、日本一を何度か達成した後(ここまでは僕も知っていた)、どうやらラクロスの本場であるアメリカでプレーしていたらしい。しかも、過去2年間に至っては、アメリカのプロラクロスリーグ、MLL(Major League Lacrosse)のトライアウトに呼ばれ、そこで何週間かの開幕ロースターへの生き残りを掛けたトレーニングに出て、残念ながら最終的な開幕メンバーには残れなかったものの、最後の一人というところまで2年連続で行っていたらしい。
IMG_1014.JPGこれはラクロスをご存じない方には伝わらないかも知れないが、無っっ茶苦茶凄いことだ。野球や卓球やテニス、ゴルフ、バレーボールと言ったスポーツと違い、ラクロスには思いっきりボディコンタクトがある。柔道や格闘技のように体重による階級制度がある訳でもない。彼自身180センチ以上あり、日本人としては大型なのだが、アメリカのトップレベルでは俄然小さい方だと思う。また、アメリカのトップアスリートたちなので、パワーもスタミナも一回りどころか二回りも三回りも日本人よりも上。また、高校からプレーし始めた彼と違い、多くのトッププレーヤーたちはそれこそ物心つかないころからラクロススティックを握り、毎週試合や練習をしながら育ってきたような奴ら。スティックを体の一部であるかのように巧みに扱ってボールをハンドリングする技術が肝であるこのスポーツに於いて、このキャリアの差は致命的とも言える。
IMG_1015.JPG従って、ハード面で大きなハンディを負った状態。もちろん、ゲームに対する知識や経験というソフト面も、大きく足りない状態だったと想像する。少しでもご感覚を持って頂くためにもう少し補足すると、(もちろん本当の国民的スポーツであるアメフト、バスケには比べるべくも無いが)競技人口数十万人という大きなピラミッドの中で本当にえりすぐられたエリート・オブ・エリートのみがプレーする場であるプロリーグに挑んだ。しかも、その環境の中で実際にパフォームし続け、実力を認められ、そのフィールドに立つ本当に一歩手前のところまで行ったのだ。
IMG_0951.JPG
3.挑戦
その話を聞いて尚更お会いできるのを楽しみにしていた。実際にお会いすると、非常に紳士的で、成熟した、尊敬できる大人という印象。意思の強さと、人間としての魂の強さが伝わってくる。そして、一緒にいた2日間の中でいろいろとお話を聞かせていただく中で、いろんなことを知った。
彼は日本のトッププレーヤーとしてプレーし続けながら、常に、世界最高峰のフィールドであるアメリカでプレーしたいという想いを抱き続けて来たという。高校時代からワールドカップで世界最高峰の選手たちと渡り合って来て、(もちろんラクロス後進国の日本と、ラクロスの発祥の地であり本場でもあるアメリカとでは大差の戦いになるのだが、)その中でも彼はそのレベルを肌で感じたのだと言う。そして、個人として本気でぶつかり合った時、そのレベルでやれるのではないか、少なくとも通用するのかどうか試してみたい、最高峰の環境にどこかで一度チャレンジしてみたいという想いが強くなったという。
IMG_0965.JPG実際に彼は、社会人になって何年かの間、自分たちが作ったクラブチームの大黒柱として度重なる日本一に貢献した後、遂に、アメリカに行くことを決断する。それまで勤めていた、世の中一般的に見れば誰もが羨むであろう一流大企業を辞めて。
その後の挑戦も、決して平坦な道のりではなかったらしい。
最初に、何とかアメリカのチームでプレーするために、過去の国際大会で知り合ったクラブチームの伝を辿り、最初の一年間、アメリカ東海岸のそこのチームに混ぜて貰ったとのこと。そこで、アメリカのラクロスに慣れると共に、実績を残し、名前を売り、ラクロス界の重要人物たちとコネクションを築いていったという。その過程で、最初はプレー面でもかなり苦労されたと仰っていた。国際大会で日本代表の一員として米国代表と試合をするのと違い、実際に彼らの中に入ると、そのプレースタイルや哲学が、日本のラクロスとは全く別のスポーツであるかのように錯覚してしまうくらい、全く異なっていたと仰っていた。それにアジャストするのにかなり苦労されたらしい。
IMG_0915.JPGその後、さらに挑戦を続け、次の年、もう一歩高いレベルのクラブチームに移籍。そこでさらに実績と信頼を積み重ね、コネクションを作り続けた。その年の最後に、結局ダメかも知れないと一度諦めて日本に帰った後、思いがけずプロラクロスリーグMLLのシカゴにできる新チームのトライアウトに声が掛かったという。先ほど書いたとおり、最終的なロースターには残らなかったが、最後の一歩まで残ったという状況。次の年も再度西海岸のチームのトライアウトに呼ばれ、こちらも最後の一枚までもつれて、最後の席を争う二人、というところまで残ったのだが、残念ながら、やはり最終的な一軍メンバーには残ることが出来なかったとのことだった。
IMG_1016.JPG実力や体力は十分なのだが、どうしても年齢的に30歳を超えているため、席を取り合う相手の20代前半の若いアメリカ人と比べられたときに、「実力は同じ。でも、申し訳無いが、より将来のキャリアが長く、投資対効果の高いあいつを選ばせてくれ」となってしまったとのこと。実際の実力とは別の、周囲の選手たちの、東海岸の伝統的名門強豪校でプレーしていたという『レジュメの強さ』も感じたと仰っていた。(この話はアメリカのキャリアのレジュメ文化的な側面を非常によく表していると思う。)それでも尚、本場アメリカで、全国ネットで放映されるレベルのプロスポーツの世界で実質的にフィールドに立つ一歩手前まで行ったのだから、文句無く物凄いことだ。
IMG_1007.JPG
4.道程
そして何よりも僕の心を打ったのは、そのプロセス。彼はどちらかと言うと物静かな性格で、明らかに、生まれ付きのお喋りの超社交好きというキャラではないように見えた。英語力も、帰国子女でもないし、(大変失礼ながら)決して上手くはなかったと彼の友人が仰っていた。そんな状況で、何回か試合をしたからという伝を辿って、たどたどしい英語を省みずチームに合流し、そこで地道にコネクションを作っていった。
トップクラスの選手、経営サイドの人間のほとんどが東海岸の伝統的名門校出身者でがっちり固められたコミュニティであるプロラクロスの世界に徐々に入り込んで、「つか、誰あいつ?」「ああ、なんか日本人らしいよ」「ふーん」という状況から、「○○っていう日本から来た面白い選手がいるから今度見てみてよ」となり、遂には「結構いいね、今度トライアウトに呼んでみるか」というところまで地力で持っていったのだ。ラクロスの実力を磨くことはもちろん、そうやってアメリカ独特の「ネットワーク文化」を理解し、本来弱みであるはずのコネを、地道に積み上げ、最終的には強みとしてレバレッジすることで夢の実現へとゴリゴリと近づいて行ったのだ。
IMG_0923.JPGこれは、既に日本人選手の評価の相場が出来上がっているメジャーリーグに、今のプロ野球選手が高い報酬とポジションをある程度約束された状態で、鳴り物入りで入るのとは違う。もちろんそのケースが簡単だと言う事では決してないが、全く見えない道を切り開いていくというパイオニア度の高さはでは、今回の話は群を抜いている。そもそもプロになる方法すら全く判らない上、過去の事例からどれだけ通用するかの確度を読むということすら出来なかったのだ。どんなに実力があったとしても、恐ろしく強い意志と憧れが無いとできないだろう。
IMG_1005.JPGネイティブアメリカンの部族間の戦闘訓練にその起源を持ち、400年の歴史を誇る、コミュニティに深く根を張ったアメリカのラクロスと異なり、日本のラクロスは、まだ輸入されてから20年が経ったに過ぎない。まだまだ世間的な認知度が高いとは言えないだろう。マイナースポーツ故の悲しさか、彼の挑戦の話は、今まで新聞や雑誌Numberに載った訳でも、Top RunnerやプロジェクトXで特集された訳でもないのだが、そうなっててもおかしくなかったと思えるくらい、この話は物凄いし、身近な人の話だったこともあり、僕の心を深くえぐった。

5.「リスク」
そこで、彼のチャレンジにいろいろと想像をめぐらせる。恐らく、いろんな不安や葛藤があったのかも知れない。
彼は日本のラクロスの世界では誰もが知っている、ヒーロー的、カリスマ的選手だった。日本に残り続ければ、そういう立場で他の選手やファンたちから尊敬され、誰もが羨むキャリアを歩めただろう。アメリカに行ったところで、どれだけ試合に出られるか、どれだけ通用するかも見えない。そこでキャリアが行き詰ってしまうリスクだって想定されただろう。人によっては、敢えてリスクなんか取らずに、迷わず日本に残り続けるという選択をするケースも多いだろう。
 IMG_0956.JPG記事を読んだ範囲では、やはり親戚からのプレッシャー等もあったらしい。恐らく、知人の中には、そんな挑戦上手く行かないんじゃないか、現実的じゃないんじゃないか、リスキーだからやめておけと言う人もいたのではないかと想像する。会社を辞めた時点で、会社の方々の中には、もちろん理解して応援してくれた人も多かったと思うが、一方で、理解できない、やめておけ、馬鹿げていると反対した人たちもいたんじゃないかと想像する。それは、会社で彼のことを買っていた人であれば尚のこと。
それでも尚、彼は、それらの不安や反対する声を振り切って、自分の夢を信じて、挑戦した。悔いの残らぬよう。結果としては、最終的にプロ選手になることは出来なかったのだが、その一歩手前まで行けた。
IMG_0925.JPG彼の表情や言葉を見ても、全く後悔は感じられなかった。むしろ、自分の夢、想いのために挑戦して全力を尽くしたという、自信とすがすがしさに満ちていた。揺らがぬ、強い信念を感じた。「僕はこの世界で身を立てていく、この世界に軸足を置いて生きていくと決めたから」と仰っていた。そして、その言葉からは強い意志がほとばしっていた。
恐らく、自分のcomfortable zoneから飛び出し、新しい世界で試行錯誤するプロセスで、大きく成長されたのではないかと想像する。
彼と会い、この話を聞いて、心の底から痺れた。そういう生き方に強く共感を覚えた。心底、むちゃくちゃカッコいいと思った。
IMG_0963.JPG
6.生き方
人それぞれ、夢や想いがあって、価値観があって、人それぞれ取れるリスクや経済的な制約条件があって、そんな中で各々がいろんなチャレンジをしたりしなかったりして生きて行くんだと思う。夢があっても、チャレンジできるだけの実力が無かったり、実力があっても、そういう機会が無かったり、機会があっても、いろんな理由で敢えて踏み出さないことを選択したり。もちろん、どんなに実力とチャンスが有っても、これまで積み上げて来たものを失うことを勿体無く感じたり、先の見えない道へと踏み出すことに躊躇を覚える人も多いだろう。
IMG_0913.JPGそんな中で、『人生を後悔する』という最大のリスクを回避するために、周囲から見たら馬鹿げていたり、短期的な損得勘定で見たらどう考えても大赤字だったり、キャリア的に見たら回り道だったりしても、自分がその時に心底情熱を感じられる選択肢を敢えて選び取って行くという生き方もあると思う。「人生に於ける本当のリスク」って何なんだろうか。自分が死の床で人生を振り返った時に、「ああ、俺は70年間賢く計算して、ちゃんとリスクを回避し続けて、最高に安全な生き方をしたから一個も失敗しなかった!我が生涯に一片の悔い無し!(ラ○ウ風)」なんてことになるのだろうか、と思う。
IMG_1013.JPG自分の夢を信じ、敢えてcomfortableな環境を飛び出して、安全に富と地位と名声が得られる道を捨てて、勝てるかどうか判らない戦いを挑んで、でもそんな生き方にドキドキワクワクし続けながら(『オラ、もっとつええ敵と戦えると思うとワクワクすっぞ!』〔ゴ○ウ風〕みたいな)、新しい環境で苦しみながらも、大きく変化し、成長する。新しい世界を見る。今まで知らなかった自分を見る。そして何よりも、そのプロセスを心底楽しむ。そういう生き方もあるよなと。
IMG_0960.JPG彼の、夢を信じて前に進む強い意志の力が漲る目を見て、そしてその鍛え上げられた肉体と魂と、精悍な表情を見て、正に古武士みたいな人だなーと、これこそホントの侍だぜと。そして、こういう大和魂もあるんだなー、と、思わされた。
ラクロス観戦に行った旅行で、試合そのものとは別のところで、思わぬ感動と刺激を受けた。
IM class of 2009

2 件のコメント:

  1. いつも愛読させていただいているものです!

    この方はわたしも知っている方なので、いたるさんの文章もあり、目頭が熱くなりました。

    挑戦者、かっこいいですね。
    結果は他人が決めるものですが、結局残るのは自分が言い訳せずに、本当にやりたいことに向かって行動し、やり抜いたかってことだと思いますし。
    言い訳した毎日を過ごす自分に反省し、またモチベーションを上げさせていただきました。

    これからも最高の記事楽しみにしています。

    advance #17ちはる

    返信削除
  2. ちはるさん

    Positive vibration伝わって来るコメント有り難う御座います!
    そう言って頂けると書いた甲斐あるってもんです。全く共感します。

    返信削除