2012年1月8日日曜日

Hoop Dreams(映画)

もういっちょスポーツ系のドキュメント。

結構古いが、Hoop Dreams。94年に公開されたアメリカのバスケのドキュメンタリー。これもiTunesのUSアカウントでレンタル可。


個人的に、なぜか昔からこの手のリアルを追求したドキュメンタリー、(作られた分かり易いサクセスストーリーや勧善懲悪ではなく)物事のポジティブ側面だけじゃなく、ダメな面、悲しい現実ときちんと向き合って生々しく伝えてくれているコンテンツに強く惹かれて来た。

シカゴ近郊の、当時の伝説的NBAスーパースターIsiah Thomas(アイザイア=トーマス)の地元、彼に憧れる才能ある少年達二人を10年掛けて実際に人生を通して追い掛けるという企画。

小学生時代はその才能から地元、家族、友人からもてはやされ、エリート選手の集まる中学、高校に。バスケで身を立て、いつの日かIsaiahのようになりたい、NBAでプレーしたい、貧困から抜け出して大金持ちになって家を立てて家族を幸せにしたいと言う夢を胸に、子供の頃から悩みながらも努力する二人。

しかしながら、ドキュメンタリーならではの身を切るようなbrutal reality(残酷な現実)を突きつけられる。ホームシックになったり、身体能力や技術はあるが、ここぞという勝負所で心が折れるメンタルの弱さに苦しんだり、膝の怪我で挫折したり。一人は名門Marquetteに進学するも、結局パッとせずNBAには行けず。もう一人は南部のマイナー校に行くも大成せず。

苦悩しながらも一生懸命生きようとする彼らの生き様に心を打たれ、思わず胸が熱くなる。

と同時に、アメリカに来て、日本にいた頃は頭では理解していたがいまいちピンと来ていなかった/身を以て理解出来ていなかったsocioeconomyやカルチャーに於けるリアル/現実をいくつも目の当たりにして来たが、そのいくつかをこの映画を通じて改めて痛感させられ、印象に残った。

一つは、貧困と格差社会。初めて見ると衝撃を受けるが、ほぼ全ての都市部で、市街地と周囲のベッドタウンの間にドーナツ状に広がる貧困エリアが存在している。Chicago、Philadelphia、LA、Durhamと4都市を見て来て、全ての場所に共通して、オフィス街から郊外の住宅地に帰る過程で高速を一歩降りると、まるで発展途上国であるかのような荒涼とした風景が広がっている。

窓の割れた古いれんが造りの家々、各ブロックの角には仕事のない人々が彷徨い、夜中には頻繁に発砲事件や麻薬取引でサイレンの音が聞こえる。大学進学率も低く、犯罪経験者も多く、麻薬中毒者数の数も多い。(そして、これまた日本にいた頃はピンと来ていなかったのが、別にアメリカもそれでいいと思って、よしとしてそうしている/放置している訳では無く、アメリカならではの歴史的な背景があって、やむを得ずそうなっている面が相当あると言う点、そして国としてそれを何とかしようと多くの人が一生懸命戦っている点。)

多くの(もちろん一部の例外はいるが)NBA/NFL選手たちが実際にそれらの貧困エリアの出身者で占められており、それらのエリアの子供達にとって、そこから抜け出し、裕福な生活を手に入れるための方法は、所謂アメリカンドリームを体現して、①相当有り得ないぐらい頑張って勉強して奨学金でいい大学に行く(でも実際には地域の公立学校が致命的に機能不全に陥っており難しい)、②(奇跡的な才能を持っているなら)プロスポーツ選手になる、③Hiphopで成功(でもこれは恐らく90年代までの話で、iPod時代の今となってはsustainableに成功するのはもう難しくなってしまった)、④ストリートギャングでのし上がる(多くの若者がこれを目指すが、極めてハイリスク。逮捕されたり、抗争で撃ち殺されたり)、の4つのオプションしか無いと言う事。

そして現実的にはほとんど全ての人々がその貧困エリア/貧困生活から抜け出せずに、大学には行かず、安定した職にも付けず、若くして未婚で子供を産み、ドラッグや銃のリスクのある生活の中で暮らさざるを得ないという現実。

テレビで目にするヒーロー/ロールモデルはやはりNBA/NFLの選手たちであり、多くの子供が一度は②を夢見る。

だが、実際に僕らがスポーツファンとして目にしているのは、本当に一握りの突出した才能の中の、更に上澄みの上澄みの上澄みのみ。実際には大きな大きなピラミッドの頂点の先っぽの破片をすり潰した粉の粒だけがNCAAに来ており、その中の本当のエリートだけがNBAに入る事を許され、更にその多くが数年でクビになり、実際に5年10年残れるのはさらにその中の一部で、チームの看板、オールスターになるのはその中でも本当に選び抜かれた、本当に奇跡のような才能の持ち主のみ。

実際に地元の草の根の小中学校、高校のチームでプレーする子供達、それらの選別の過程で脱落して行く死屍累々(アスリートとしての)を目にすると、如何にそれが熾烈な生存競争であるかが分かる。

今目の前でNCAAのDiv 1でバスケをプレー出来ている選手たちは、正に精子のような、気の遠くなるような選別を受けて生き残って来た超エリート達。それでも尚、UNCレベルのトップ校ですら、スタメンの中にはNBAに指名されない選手もおり、指名されてもサバイブして行けるのは一部という残酷な現実。

こういうのを見ると、そして2mの選手が有り得ないスピードとleap(跳躍力)と技術を見せつけるのを目の当たりにして、「俺、何て恐れ多いスポーツをやってたんだ...」と思い知らされた次第。

(すいません。相当整理されてない状況で吐き出し感/やっつけ感満載の書き込みですが...まあ、ラクロスの話題の薄い冬休み中と言う事でどうかご勘弁を...)

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